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宇治茶の歴史

宇治茶の起源は、鎌倉時代栄西禅師が、中国の宋から持ち帰った種を明恵上人に贈り、
上人はこれを京都栂ノ尾に植え、喫茶の効能を認めて、
宇治に移し植えたのが始まりとされています。
このことから、栂ノ尾は、宇治茶発祥の地とされています。


宇治茶発祥の地石碑

お茶は、この宇治から伊賀、駿河、武蔵の国へと広まり、日本で広く栽培されるようになりました。
足利義満は、宇治茶の優れた点を認め、自らも茶園を栽培させ、
後世七茗園と称され宇治茶の名声が世に広まる端緒になりました。
さらに、足利義政は、銀閣寺を建て茶事を盛んに行いました。
織田信長や豊臣秀吉も戦乱の間にも茶を愛し、
また、豊臣秀吉は、この時代に北野の大茶会を催し千利休らと共に茶の大衆化が図られました。


七茗園
室町時代、将軍足利義満は、宇治七茗園と呼ばれる優れた茶園を宇治の里に作りました。
和歌にも、「森、祝井、宇文字、奥ノ山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」と
詠まれたこの茶園は、ほとんど姿を消しましたが、奥ノ山茶園だけは現存し、
毎年八十八夜の頃、宇治の町を見下ろすこの茶園で茶摘みが行われます。


駒の蹄影記念碑


駒の蹄影記念碑


宇治万福寺の門前にあって、明恵上人が、
畑の中を馬に乗って廻り、
その蹄跡に茶の種を播かせたと言う言い伝えがあり、
石碑には、

    「栂山の尾の上の茶の木分け植えて跡ぞ生うべし駒の足影」

上人の歌が刻まれています。


煎茶の始祖永谷宗七郎翁(宗円)


宇治茶「夢工房」

永谷宗円生家


元文3年山城の国湯屋(現在の宇治田原町湯屋谷)の
住人永谷宗七郎翁(宗円)によって
青製煎茶法と称する煎茶の製法が考案されましたが、
湯屋谷には、当時を偲ぶ生家や手揉ホイロが保存されています。

お茶(宇治茶)の種類

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